循環器内科開業医の病気、世の中、生きる悩みについての独り言です


イエス様についての手紙
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・・・・先生

 突然のお手紙にて失礼致します。

 貴先生のお手元に届いたか存じませんが、私は平成197月に春秋社を介して親鸞聖人について感じたことを書き送らせていただいた大阪の開業医です。


 今回貴先生の“悪と日本人”を読ませていただいていろいろと感じたことがあり再度書き送らせていただくこととしました。(略)正直に感じたままを書きます。今回は時間もなく以前にもまして支離滅裂であるかもしれませんがご容赦ください。


 まずは“悪と日本人”を読んで自分の不勉強を思い知らされました。貴先生と吉本先生の春秋社を介しての経緯にも正直驚きましたが、もしかすると親鸞聖人は“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”を100%のレベルで確信してはおられなかったのではないかという前回の私の主旨につながりうる、親鸞聖人ご自身が“浄土への往生”をほとんど口にされなかったというお二人の共通の認識を知り驚きました。またその捉え方に違いがあるとしても(私の認識は貴先生に近いのですが)最晩年に親鸞聖人に変化が認められたことがお二人の共通認識であったことも、私の感覚がそれほど間違いでなかったのだろうと感じられて嬉しく思いました。


 私はうそをつくまいと努力します。だから確定的なことを口にすることを避けますし、またより大きな話題の中に含ませることで“逃げ”を用意します。“極楽往生”を口にする代わりに使った“弥陀の誓願”を信じるという言葉には当然“極楽往生”が含まれると普通聞くものは感じるはずですし、また“極楽往生”以外に当時の目の前の苦しむ人にとっての現実的な“救い”はなかったはずです。私は口にすることを避けることの中にこそ本音があるのだと思っています。だから“浄土への往生”をほとんど口にされなかった事実の中に、今だ確信に至っておられなかった(吉本先生の言葉では信じてはいなかったになってしまいますが)親鸞聖人を確認した想いです。

 本当にありがとうございました。

 

 さて以下には

Ⅰ.苦しみのこと ・・・ これからする“悪”の重さ 

Ⅱ.イエス様と親鸞聖人のこと

 を書き連ねさせてもらいます。

 

Ⅰ.苦しみのこと ・・・ これからする“悪”の重さ

 私は“何だそんなこと”と言われるかもしれませんが、その後あらゆる悪をなし、あらゆる苦しみを味わってきたのかもしれません。結論になる数点をあげますと、

1)どれほど弱いものであろうと最後一本の“絆”を失うことは耐え難い

2)最も苦しいことは・・・良いことをしたいという想いが強いほど、自分のしたことが自分以外の人を苦しめること。その相手が自分にとって大切な者であるほど、そしてそれが取り返しのつかないことであるほど苦しさは強い。

3)これからする、あるいは避けられない“悪”の苦しみ・・・そこにも救いはあるのだろうか・・・です。

   ・・・・・・ 略 ・・・・・・

してしまった“悪”はどのようなものであれ、赦されうるのだと思います。その時点ではすでに“悪”ではないかもしれないからです。でもこれからする“悪”・・・それは“悪”そのものです。はたしてこれが赦されるのか?赦されて良いのか?・・・だから私は一時医者の世界を離れようとしました。これは悪人正機説そのものかもしれません。親鸞聖人は自分の死後も“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”が続くであろうことを知っておられたと思います。ご自身は教団を作ろうとされなかったのもそのためかもしれません。教行信証の最後の言葉はやはり、たとえ変革をしようと、この想いをついで、“真実に向かって少しずつ歩んでほしい”という聖人の願いだったように思えます。

 

Ⅱ.イエス様と親鸞聖人のこと  


 私は前回のお手紙をお送りした少し後のまだ時間的に余裕のある時期の悩みの中でクリスチャンの方とメールのやり取りをしていました。その中で私は親鸞聖人とイエス様の間に近しいものを感じました。考えは変転していますが、まずはその2通のメールを書いたあとで、現在の考えを書こうと思います。


11/18 “イエスの生涯”より

今日は内科専門医の単位更新の講習会に神戸へ日帰りでしたが、講習よりも遠藤周作さんの“イエスの生涯”にはまり込んでしまいました。京都で“幸いなるかな 心貧しき人 天国は彼等のものなればなり”に親鸞聖人の“悪人こそ往生する”と同じ匂いを感じるなどと無茶苦茶書いたあの新潮文庫の本です。既に読んでおられるのかもしれませんが、まだの場合もしも宜しければ一度お手にとって頂ければなどと思っております。最近は正直言うと読書は全く進んでいませんでした。感動のままに書きますので少し支離滅裂かもしれませんがお許しください。でもきっとキリスト教徒の方には最後のところで遠藤周作さん同様信じられないことを書いてしまうのかもしれません。全ては私が今日感じたそのままです。そしてレストランで、電車の中で恥ずかしながら涙しておりました。

はじめに感じたのは“イエス様は本当には理解してくれる人がいないというような、ある意味心の孤独?に悩んでおられたのではないか?という漠然とした感覚の中、きっともっともっと現実に苦しみを背負おうとされたのではないかと言うことです。この世の中で普通の人の目でみて自分が最も苦しむ存在になろうとされたのではないか。そんな最も苦しむ中でも“愛”を信じる心に些かの揺るぎもないことを身を持って示そうとされたのではないだろうか?そういう人にして初めて言える言葉、伝えられることがあるのではないか”ということでした。私はユダが受難の夜に自殺したことすら知りませんでした。教えていただいた“いのちのことば社”の聖書は現在取り寄せ中です。そして“イエス様はユダなくして存在しえなかった。だからというのではなく、この受難物語の中で最も苦しむのはイエス様とユダの二人だと思うのです。だから?イエス様は弟子の中でユダを最も慈しまれたのではないだろうか?そんな気もしておりました”。そして問題は“イエスの生涯”の第13章“謎”のところでした(もしも宜しければこの章だけでも・・・)この章に入ったときに何故か突然感じたのです。それは遠藤氏に近いのですが最後もう一つの違いがありました。遠藤氏は“一体、あれだけイエスの生前、師の考えも気持ちも理解できず、ぐうたらだった弟子たちが、なぜ、立ちなおったのか、と。イエスの最後の時、彼を見棄てたほどの弱虫たちが、師の死後、なぜ、強い意志と信仰の持主になったのか、と。”という疑問を提示されます。そのためには“弟子たちの心を根底から覆すだけの衝撃的なものがイエスの死の前後起こったと考えるのが、この謎を解く方法の一つのように私には思われる”と。そう思います。それは本当に“復活”の奇跡であったのかもしれません。また槍が急所をそれていたがための、出血による意識消失であったのかもしれません。でも遠藤氏は“復活”を象徴として捉えられておられるようで、私もそんな気がします。それでいいと思います。

 遠藤氏は“これからのべることは我々にとってかなり大胆な推測であることを読者は認めてほしい”と断ったうえで話を進められますが、私はすでに私自身の感じてしまった“想い”の中に涙しておりました。氏の推測は“ペドロたち弟子は自分たちが助かるために、イエス様を生贄として差し出したのではないか。そのイエス様が死の最後の瞬間まで恨みの言葉ではなく、弟子たちの救いを求められたことを逃亡の中に感じて、贖罪の想いの中変化したのではなかろうか?”と。私が感じたのは近いのですが、“裏切った弟子たちを救うために自分の命を自ら投げ出されたことを、見棄てての逃亡中に聞いたのではないか”ということでした。自らが生贄となられたのではないか?そう感じたのです。果たして一度イエス様の命まで差し出そうとしたのに全員がそこまで転換できるだろうか?ましてや師を裏切るとしてもその死まで覚悟するものだったろうか?が遠藤氏との違いかもしれません。一つだけ間違いがないのはイエス様が誰かのために(一般には苦しむ人々?)自ら命まで投げ出すことで、誰の目から見ても最も苦しむ惨めな存在になろうとしておられたということです。でもどちらでもよいのです。私には“イエス様はあの、右の頬を打たれたら左の頬を差し出す、を自らの命をかけて実践された。たとえそれが自分を裏切ったもののためであろうと”。“愛”の心を自分の命と引き換えにすることで教えられたのです。

 その人には見るべき姿も、威厳も、慕うべき美しさもなかった。

 侮られ、棄てられた。

 その人は哀しみの人だった。病を知っていた。

 忌み嫌われるもののように蔑まれた。

 誰も彼を尊ばなかった。

まことその人は我々の病を負い

我々の哀しみを担った・・・

刑場に引き据えられたいわゆる“最も弱い惨めな存在”が、“最も強い愛の心”を示しうることを知ったときに、初めて弟子たちはイエス様の教えがなんであるかを真に理解したのだろうと感じました。

 私は自分に変わり者、“異端”という感じを持っております。私は“人”が大好きなのだと思います。でもあまりにかっちりとした組織の中では生きてはいけないのかもしれない。私は最後の最後では、“群れきれない”自分を感じております。この言いかた変ですか?きっと私はあまり人々のお役に立てない存在なのだろうと・・・。

 

11/30 ユダ そして 懺悔

この世に救われがたい人がいるとしたら、“理屈っぽくて頑固な・・・”、ひどく言うと“小賢しくて偏屈な・・・”私のような人間かもしれないという気が何となくしておりました。

私はやはり変わり者なのかもしれません。イエス様とユダのことについて怒られるかもしれませんが少し書いてみます。現在においても“ユダ”が裏切り者の代名詞であることは誰でも知っております。18日“イエスの生涯”の中の“手に握りしめた30枚の銀貨(あまり高額ではなかったようです)を彼はカヤバ邸に投げ捨て、城外に出て自分の首をくくった”という文章を読んだ瞬間に、ユダの悩み、イエス様への尊敬と愛を感じましたが、同時に何故かイエス様ご自身も悩まれ、そしてユダを信じ愛しておられたのではないだろうかと感じて泣いてしまったのです。ポイントはイエス様が裏切った後のユダの悲劇?を予知しておられただろうかという1点につきます。聖書によるとイエス様は、ユダの裏切り、ペドロの裏切り、自らの受難と復活を予言されたとのことです。自殺をしたことから(使徒行伝では違う記述もあるようです)ユダの裏切りがお金のためでもなかったし、心からの憎しみのためでもなかったことは容易に感じられます。イエス様の復活を目にする前に自らの命を棄てているのですから、裏切ったことに対してのユダの後悔の念はきわめて強く、イエス様への想い、理解は他の弟子たちよりもむしろ深かったと言えるのかもしれません。弟子が裏切ること、しかもその時を予知することなど我々普通の人にはなかなかできることではありません。しかし一旦裏切った後で、その者がどの様な気持ちになるか、悩むか?は長く共に旅をして人となりを知っていれば予知する(私などでは予測なのでしょうが)ことは容易かもしれません。その師への尊敬が強く、自分の行為が師に死をもたらした場合に自殺する可能性すら予測しうるかもしれないとは思います。ですから裏切りを予知されたイエス様はユダのその後も予知されていたのではないかと私には思えます。弟子たちの裏切り、ご自身の受難を知っておられたイエス様にとっては、過越祭の日におけるそれらを避けることは可能であったろうと思います。その日エルサレムから離れるだけでよかったのです。しかしそれをされなかった。そこにはその過越祭において“全ての罪を背負って生贄の子羊になろう”というイエス様の強いお心があったのだと思います。ましてや自ら命を失い、未来永劫裏切り者として罵られるであろうユダの悲劇を知っておられたとしたら、どうであろうか。その中に私はイエス様の並々ならぬ決意と、ユダに対しての申し訳なさを感じ取ってあの時泣いてしまったのです。それでも裏切りから受難の道を歩まれる。この言いかたは問題があるかもしれませんが、“ユダの受難”を許容できるのは、逆にユダに対しての深い信頼と愛があったからこそではないかと思っております。後で知ったのですが“最後の晩餐”の席でイエス様はユダに対して“しようとしていることを、今すぐしなさい”とおっしゃったとのことです。それは“私はわかっている。私は許している”というイエス様の許容と愛のお言葉のように思われるのです。

これはもっと妄想の域になってしまいますが、ユダがもしもそれらイエス様のお心を全て感じ取ったうえで裏切りをされたとしたら・・・、それゆえ自殺されたとしたら・・・、お二人の絆は信じがたいほどのものであったのかもしれません。

私はユダを裏切り者として罵ることをもうやめれば良いのではないかと思います。あまねく人々を愛そうとされたイエス様が、ユダを憎んでおられて、ユダを罵ることを望んでおられるとは少なくとも私には思えません。逆にもしも私の感じたことの可能性が少しでもあるのであればイエス様はユダの魂の救済を強く望まれるように思えるからです。

 こんなことを感じ、話す私は親鸞聖人の時と同様、よっぽどの変人なのだと思います。この中にクリスチャンに対しての失礼な部分があったらお許しください。全くそのような気持ちはなく、親鸞聖人のときと同様に、私は 全てをなげうって“愛の心を伝えようとされた”イエス様をむしろ強く尊敬し、感動したのですから・・・(この言いかた自体が神様に対して不遜かもしれません)。そして一部変人としてユダの魂の救われることを願っただけですから。でもやっぱりおかしいのでしょうね。


 以上は約2年前のものです。当時私はユダとイエス様の関係に単なる裏切り以上のものを感じました。でも後で調べるとその考えはグノーシス派の考えとして既にあったもののようで、もしかしたら読書家であった私は、知らずに意識の中に刷り込まれていたのかもしれません。

 

でもその後本当に苦しい日々を実感して、イエス様が最後弟子たちも失った究極の絶望の中で十字架にかけられたときの言葉、“エリ、エリ、レマ、サバクタニ(神よ、どうして私をお見捨てになったのですか)”に出会い、それが魂からの叫びであると感じました。その言葉はその前のお言葉とは一転したものでした。その人々のために良かれと思って生きているのに、弟子から裏切られ、人々から死を宣告される哀しみは勿論例えようのないものです。でもイエス様は復活を予言し、それを信じておられた。それならばまだ本当の生贄の子羊になってはいないのかもしれませんし、十字架の上にあることも理解のうちだったはずです。 不遜にも2年前にはユダの死を許容していた可能性なども考えてしまいました。この間経験したことの中から“一番の苦しみとは、良いことをしたいという想いが強いのに、自分のしたことが自分以外の人を苦しめることであり、その相手が自分にとって大切な者であるほど、そしてそれが取り返しのつかないことであるほどより大きくなる”ことを私が知ったからだと思います。

 もしかしたらイエス様は十字架の上でユダの自殺を初めて聞かされたのではないでしょうか?他人に対する予知の力には限界があったのかもしれません。また死者を復活させる奇跡にも時間的な制限があったのかもしれません。人々を救おうとして、自分の信頼する弟子を、自分のせいで死という取り返しのつかない形で失うという最大の罪の意識をその瞬間に感じられたのではないか。その最後の言葉“父よ、わが霊を御手にゆだぬ”で真に神になられたような気がします。

 不遜ですが、もしも私がイエス様なら復活した時に真っ先にすることは絶対にユダの復活です。イエス様が復活したのなら彼は死ぬ必要などはないのです。もしも本当に裏切り者であったとしてもそれを最大に悔いたものを赦すことこそがイエス様の御心にふさわしい行為だと思えます。使徒言行録では、ユダはその後日に土地に落ちて死ぬとされているようです。仮定ばかりですが、もしも裏切り者であったとしても復活させてもらえたら私がユダなら、そのイエス様の愛の行為を伝え、イエス様のために真に生涯を捧げるように思います。あるいは裏切り者として人知れず隠れて・・・。やはりお二人には強い信頼があったように感じます。


 奇跡だけでは全ての人を救うことはできないのだと思います。スーパーマンの言葉“これだけ力がありながら、一番大切な人を守れもしない”。欲望の果てしのない人もいます。またたったひとつの物を二人の人が欲した場合それをかなえることはできないからです。だから人々が“ともに”幸せになるためには、まずは苦しむ人たちを救うことが第一歩であり、その目標は見上げる星のように“遠く”あるいは“全てを包み込む”ようなものでなければいけない。それがイエス様にとっての“神様の愛”であり、親鸞聖人の“弥陀の慈悲”だったのだと思います。そしてそれが事実であることを説き、自ら示されたように思います。

 

 苦しむ人々を本当に救おうとされた。

 そのために“神様の愛”、 “弥陀の慈悲”を説かれた

 その中でご自身に罪の意識を負われた。

 それでもそれを成し遂げ、その後も多くの人々を救い続けられた。

 

 それがお二人の共通点なのではないでしょうか。長い駄文で失礼致しました。

             平成22322

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