循環器内科開業医の病気、世の中、生きる悩みについての独り言です


防衛は?
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防衛は?   ・・・自衛隊は必要だと思います。

 もしも“貴国は何故武力を持っているのですか?”と聞かれた場合、基本的には各国は“他国を攻撃するために武力を持っているのではなく、他国の攻撃から自衛するために武力を持っている”という説明をすると思います。そこに野心や相手に対しての不信があれば、相手より武力が弱ければ危険だとなって軍拡競争が起こったのだといえます。でも軍備にお金を使って得をするのは軍需産業ぐらいですよね。日本が戦後急速な復興をできた理由には当初軍備へお金を使う必要が全くなかったこともあると思います。

 最も強大な軍事力、警察力が国連であれば各国はそれぞれ競争をする必要がなくなるのですが、現在の国連軍はいろいろな国の思惑で動いているので、どういう動きがおこるかが予想できず防衛を全て国連に頼ることができる状況には全くありません。その中でかいえだかいじさんの漫画“沈黙の艦隊”にあった核兵器を搭載した数カ国の原子力潜水艦が国連の元に入ることで、“核兵器を先に使わない”ことが絶対の約束となっているならば、核攻撃をした国に対しての強力な抑止力となるという設定は効果的な1つの案を提示したと私には思えました。ここでは“自動的に”ということ、その“判断が国連という第三者で公平”であるということが重要な要素となっていると思えました。

正直に書きます。“憲法9条の改正について”に書きましたが、今は違憲とは思っていませんが、私は中学時代に自衛隊は違憲ではないだろうかと真剣に考えました。では自衛隊は要らないのだろうか?とも当時考えました。


 戦争はなぜ起こるのでしょうか?
 勝てば領土が増え、財産が増え、昔なら奴隷が増えと得があるから。どうしても我慢できないような恨みなどがあったから。国内をまとめるのにそれしか道がないから。等々。

 ではなぜ戦争をしないのでしょうか?
 負けたら、大損をするから。人を殺すという罪悪感。国民、家族が死ぬかもしれないという損失感。昔と違って他の国が見ているので、不当な戦争をすると国際社会での信義を失うから。等々。

 偶発的な要素も大きいでしょうが、最終的にはそれらの損得のバランスも戦争が起こるには大きく影響すると思います。資源の乏しい日本に対してそれらの損を考えた場合に戦争を起こされる可能性は低いと私は昔思っていました。しかし海洋資源の重要性がわかってから実際に問題が起こりだしているように、現在日本は海洋資源などを持つ国になったので戦争は起こりえると思われます。

 また兵器などの進化によって国による戦争のレベルでなくても、個人の起こすテロで警察の力を十分に超えることも可能になっています。

以上から生きるための安全保障”の中の安全確保のために自衛隊は必要だと考えます。

 それに東日本大地震のときなどでの自衛隊の人々の献身的な活動に私含めて心から感謝している人はきっと多いことだろうと思います。私は考えるときにも全体を網羅するには“もしもそうでなければ”ということを必ず入れるようにしていますが、組織においても同じことが言えると思っています。縦割りのお役所の隙間を埋めるいわゆる“すぐやる課”のように、実際に戦闘活動が起こらないほうが望ましい中で、何かごとのときに頼れるゴミ箱のような、余裕の象徴のような存在としての自衛隊も必要だと思います。

 

 では自衛にはどのぐらいの規模の自衛隊がいるのでしょうか?

 近くにある強国に負けないレベルでしょうか?それでは軍隊と同じです。それに核兵器のレベルで差があるのですから強国と同じレベルになれるはずがなく、その差を埋めるために“核の傘”として日米安全保障条約ができたのです。でも憲法で集団的自衛権を放棄している日本は一方的に守ってもらっている状況と言えます。一応島は攻められにくい特徴がありますからいわゆる不沈空母としてある程度の戦力を安全に展開しておけるという利点がアメリカにあるのは事実でしょうが、“俺たちは命をかけて日本を守る体制を敷いているのに、君たちは何をしてくれているのか”というアメリカの気持ちはそれなりにわかります。それに対しての代わりが現在の基地問題や思いやり予算という問題につながっているのです。ではこれは変わらないのでしょうか?きっと“核の傘”を必要とするかぎり変わらないのではないかと思えます。

核の傘がなくても大丈夫にするための提案がひとつあります。

日本を攻撃するつもりをなくさせて、力の反撃は戦いを生みますから、力ではない反撃をすれば良いのです。

1.もしも日本国民が選んだ政府が維持できなくなったときには、領海の利用権などを信託統治とする形で、重要な特許の利用権などとあわせて常任理事国ではない国連総会に自動的に預ける契約をあらかじめしておくのです。

もしも常任理事国のような強い国が対象国であった場合、拒否権含めて遠慮などで議題として認められないことさえあるかもしれませんが、この方法をとっておけば総会での議題あるいは報告事項に自動的に上がることで世界の関心の対象となるのです。隠れてはできないということです。もしその国の行為にやましいところがあれば(つまり日本がやましいことをしていなければ)その国は各国の信頼を失うことになります。憲法前文にあるように“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した”に当たります。国際社会で世界の信頼を失うことは大きな国ほど避けたいと思うはずですので、精神的な抑止力として意味があると思えます。現実の方法としては

1)特許権などを国連総会に付託してその収入は国連のものとしておく。
相手国に対しては自動的に特許使用料などが高くなるあるいは、その特許の使用を認めない条項を作っておけば、日本に戦争で勝つメリットは減り、たとえ勝ったとしても自動的に経済的な反撃を受けることになります。そしてそれを無視したときの相手は国連です。

2)領海の使用権などを国連総会に付託し、そこでの現在の収入は国連のものとしておく。
新たな使用を増やさないことで権利の保全を図るとともに、相手国に対して使用を許可しない条項を作っておけば、日本に戦争で勝つメリットは減ります。

3)日本を離れえた自衛隊の戦力は基本的には国連の指揮下に入るものとしておきます。
戦力の保全と、自衛隊員の安全の確保にあたります。

4)自動的に国際司法裁判所へ提訴するような形を用意しておくのも手かもしれません。

5)これらの方法を示すことは、小さな他の国々の将来の安全保障にとってもひとつの有効な手段となるかもしれませんし、多くの国が国連にそれなりの信託をすることは国連自体の存在意義を大きくします。“世界平和に向けて”に書きましたが、平和に向けてのいろいろな道筋を持っておくことは安全につながると思えます。


2.普段の時から、日本は信頼できる国である、さらにできるなら残っていてほしい国であるという、多くの国からの信頼を得る努力をしておくのです。その信頼の集まりはきっと相手国に攻撃をためらわせるにちがいありません。これについては“世界の平和に向けて日本ができることは?”に書かせてもらいます。

 ではもしも“核の傘”がなくなった時の自衛隊の規模はどれほどでしょうか?

 詳細の検討は必要ですが、現在ある領土問題を解決し、国連との交渉がうまくいった段階では、最終的に私の考える自衛隊とは、局地における小規模の争いを予防し、かつ必要であれば法律に則った自衛行動をすることで戦闘の拡大を防ぐことを主目的としたものになるのかもしれませんが、規模としては雇用、緊急時対応など含めたゴミ箱のように余裕ある存在としての現時点に匹敵するような規模の維持が必要だと思っています。


 しかし現実はというと、きっと日々かなりの揺さぶりを受けて、それへの対応に緊張の連続におられるのだと思います。だから私の考えは甘い、ありえないものと評価されても仕方ないと思います。ましてもしも私の提案した最終的な状況に十分な抑止力がありそうなら、その前により強い揺さぶりがありえます。ただ現在の揺さぶりのある中での対応として考えられるのは①力で対抗しようとすれば相手の狙いどうりかもしれず、いつか衝突にいたる可能性は高そうで、②“理”を曲げて歩み寄らざるを得なくなるかもしれません。③“理”を貫けるようにするには、国際機関を思いっきり利用することでいなせるようにすることもありかもしれません。それでもの無法には打つ手はありませんが、それは今でも同じではないでしょうか。


 これは強い国が無理な要求をしてきた場合にどう対応するかという、今後も世界のどこであっても起こりうる問題なのです。人のレベルで考えると、王様が無法なことをしたときに、民衆が立ち上がって、多数に力があることを示して民主主義を生んだフランス革命と同じと言えます。例えば今の時点では同じ問題を抱えている東南アジアの諸国を“理”を説くことで仲間になるようにして争いが実際に起こらないように避けつつ、できれば無血でフランス革命のような国家レベルにおける民主主義を打ち立てることが今後に役立つ世の中の進歩といえるのではないでしょうか。


 さて沖縄の人たちの気持ちはわかります。なぜ俺たちだけが我慢をしなければいけないのだ。収入があるという利点があるとしても、攻撃に巻き込まれる危険があり、実際に民政的に諸問題が起こっているのですから。いろいろな理由で沖縄に基地があるのは望ましいのだろうということは私にも思われます。しかし沖縄以外の人に自分の家の横に米軍基地ができた場合のことを一度思い浮かべてみてほしいということなのだと思います。まるで自分たちは安全だからと“ひとごと”のように切り捨てているかのような沖縄以外の人に対して歴史を交えて憤りがあることも理解でき、申し訳ないとその中の一人として思います。自衛隊の基地を沖縄に置くことに対して反対されるかは私にはわかりませんが、“核の傘”から抜けることができるようにすることが根本的な基地問題の解決になるのは間違いありませんし、おそらくそれ以外では沖縄から基地がなくなるとは思えないのです。

 

最後に自衛隊の方々へ。

ゴミ箱のような存在なんて書いて失礼しました。すみませんでした。でもあなた方に心から感謝していることを信じ、感じ取っていただければと思っています。

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