循環器内科開業医の病気、世の中、生きる悩みについての独り言です


親鸞上人
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親鸞聖人    ・・・ “悪人”って?

現代のあなたは“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”を信じられますか?私には無理です。では800年前の人たちは“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”を信じられたでしょうか?知識の少ない時代に偉い方の言葉を信じたかもしれませんが・・・。

当時はひどい飢饉、戦争、病など苦しみの種には事欠きませんでした。聖人が9歳の時の飢饉では京都市内だけで2ヶ月で42300人の餓死、病死があったそうです。子供を自分より先に亡くしてしまう辛さもそこここにあったと思います。おそらく程度の違いはあれ、そういう苦しみは少なくとも100年前までは同様に続いていたのではないでしょうか。もしも私がそこにいたら100%信じるというのではなく偉いお方が言ったことだから、この苦しみの中ではそれしかないから、すがりつくような気持ちで信じようと思った気がします。


 親鸞聖人は偉い師匠である法然聖人の教えである“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”をかなりのレベルまで信じながらも、100%の確信を最後まで持っておられなかったのではないか?という可能性に私は自分が苦しむ中で気づきました。それ自体はつまらぬことです。でもそんな中でも人は苦しむ人たちを救うためにこれほど頑張ることができるのかと感じたことを、ここでお伝えしたいと思いました。

中学生時代、自身の“悪”についてそれなりの悩みを持っていた私は、歎異抄の中にある親鸞聖人の有名な“善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや”という言葉に関心がありましたが全くわかりませんでした。50歳を前にいろいろな苦しみの続く中で親鸞聖人に再び近づいたのは自然だったのかもしれません。

 今私は親鸞聖人というお方は非常にまじめで、ただひたすらに真実を求めようとされた素直なお方なのだと思っています。そして流罪によって北陸、関東へ行かれる中で実際に目の前の苦しむ人たちを見て、彼らを救ってあげたい、何とかしてあげたいという気持ちを本当に持たれたのだと思っています。


親鸞聖人は29歳で“南無阿弥陀仏で救われる”とする浄土宗の法然聖人のもとへ移られます、35歳で越後へ流され、42歳で関東へ行き、そこで布教をされます。52歳で主著“教行信証”の草稿本を完成し、63歳で何故か京都へ移り、75歳で“教行信証”の加筆を終えて完成されます。84歳で“造悪無碍”の対立でゆれる関東へ送った長男の善鸞を何故か義絶され、90歳で亡くなられます。


 思ってみてください。師匠の教えをおそらく正しいだろうと思いつつもまだ100%の確信を持っていない状態のあなたが、田舎で非常に辛い思いをしている人たちを見て“何とかしてあげられないか?”と思ったときに、彼らに何をしてあげられますか? ・・・自分がしている“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”をまだ確信がなくても口にしてしまいませんか? 念仏はどこでも、誰にでもできることです。

がんの治療の進んでいない時代、末期の患者さんに“大丈夫ですよ”と言うこともありました。患者さんはおかしいと思いつつもその言葉にすがろうとされたこともあったかと思います。一番よかったのはがんを治す方法を見つけられることだったとは思いますが・・・。


その人たちが教えを“ありがたい”と感謝し教えを信じ続けてくれます。それでもひどい飢饉がときに襲い苦しみが生まれます。・・・あなたは辛い気持ちになりませんか?

親鸞聖人の教えは念仏だけでよいとする専修念仏なのに“飢饉のひどい中で42歳と59歳の2回あの人はお経を1000部読誦(念仏ではありません)して、45日目にこれはいかんと止められたのよ”と聖人の死後に奥さんが娘さんに手紙で書き送っています。“とにかく何でも良い。みんなが救われてほしい”という聖人の想いがあふれていると感じます。ついついやっちゃったという感じですが、教えを絶対大丈夫と確信しきれていなかったからかもしれません。


それでも極楽往生できればまだ救われます。でも自分がみんなに話した教えがもし真実でなかったらどうなるのだろうと思ったらあなたはどんな気持ちになり、どうしますか?

 “にせの救い”は本当の往生の道を閉ざしてしまうことになりますし、なによりも目の前で“ありがたい”と喜んでいる人を裏切ることで、最大の嘘つきということになります。 がんの患者さんに“大丈夫ですよ”と話しても多くはいつか本人にわかることになります。それでも割り切れる医者と心の負担を感じる医者がいます。往生とは結果的には罪が許されるということです。その往生を約束するということは、間違っていれば人々の全ての罪を一身に背負う行為ということになりますが、もしも間違っていなくても確信がないのにそんなに大切なことの約束をするだけで大変な行為です。今の私はそれを口にした段階で大きな罪を負った気持ちになるだろうから口にはできないと思います。それでも苦しむ人々を救うために大きな罪を負うというのは、まるでイエスさまとも同じ行為だし、あまねく衆生を救おうとされた阿弥陀様の本願そのものとも言えます。

もしも“南無阿弥陀仏”という念仏を唱えて極楽往生しよみがえった人の記録があれば少しは教えに満足できます。私ならその証拠を得るために全力を尽くします。ただデーターを調べやすい現代でさえその確認は難しいと思われます。63歳で何故か京都へ移られた親鸞聖人は以後関東の人々の相談にはのられますが、京都では表立った布教をせず、おそらくは仏典にあたり75歳まで“教行信証”の加筆を続けられます。もしも教えに100%の自信があれば、20年以上も調べ物を追加する必要はなく、より多くの人々を救うために布教を優先するのではないでしょうか。

“教行信証”は浄土宗の重要な先輩たちをさかのぼって文献を調べたものです。根拠を探そうとされたのかもしれません。その中に“念仏”“念仏三昧”の言葉は繰り返し出てくるのですが、“南無阿弥陀仏”と言う言葉は447ページの文庫中数えてみるとたった87)回だけで、“南無阿弥陀仏”が正念であるというのはたった2回で、それも書き方に問題のあるような箇所でした。

 そしてこの章の最後に入れますが、教行信証の最後で引用も含めて私はすばらしい文章と出会いました。間違い訳かもしれませんが、“この書を見た人は、信じるところは信じ、疑うところは疑って、妙果を得てください”“真実の言葉を集めて来るべき幸せの助けをしよう”“なぜなら先に生れたものは後のものを導き、後に生れたものは先に生れたものに尋ねつつ、連続して休むことなく、妙果をえるようにしてほしい。” この書き方からは聖人は私の言っていることはまだ確定ではないのだよとおっしゃっているように思われます。だから同じ時代の人だけでなく、次の時代の人含めて全ての時代の人類全体として一歩ずつ幸せを求めて行って欲しい。私は礎になるから・・。そうおっしゃっているように感じます。我々は親鸞聖人から大切なことを託されたのではないか、その想いが伝わっていないのではないか、この文章を読んで私はそう思いました。


 以上から親鸞聖人は“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”に100%の確信を最後まで持っておられなかったのではないかと私は思っています。

 もしも師匠である法然聖人が800年前と現代で皆さんに同じように教えを説かれた場合、生活状態のためか知識量のためかはわかりませんが、その教えを100%確信できる人は現代のほうがはるかに少ないのではないでしょうか。親鸞聖人がもしも教えに100%の確信を持たれていなかったとしたら、それは聖人の真実を求めようとするまじめさなどの総体が時代を超えてすごかったということを意味するように思います。


 そして自分がその教えに100%の確信をまだ持てていないという秘密を口にすることは、信じて念仏する人たちから“救い”を奪うことですから聖人は絶対にできなかったのです。

 もしもその場合、人々を救おうとされる優しい親鸞聖人が、悪人としての罪の意識とそれを秘密にするしかないことでどれほど辛い想いをされたことだろうかと胸痛くなります。

 

 歎異抄は弟子の唯円が親鸞聖人の死後に思い出して書いた本とされます。もしも私が気づいた可能性が正しい場合、確信をまだ持てていないという親鸞聖人の秘密を唯円が知っているとは思えません。親鸞聖人にとっての最大の悪人とはご自身です。聖人は終始一貫ご自身を悪人とおっしゃっています。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」ともあります。

 “いわんや悪人をや”の悪人とは、もしかしたら最大の悪人であるご自身への思いだったのかもしれません。悪人であって最も他力をたのんでいるのは聖人です。“悪人である私も救われたい”という想いが隠された言葉で、つい出てしまったのではないでしょうか。でも自分が救われるということは、教えが正しいということで同時に他の信じてくれているみんなも救われるということになるのです。聖人は自分のためだけでなく自分を信じてくれている人々の真実の“救い”となることを心から願われていたのだと思えます。


 親鸞聖人は目の前の苦しむ人々を救おうとして“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”を口にされて、その結果以後800年にわたって苦しむ多くの人々の心を救ってこられたことは間違いありません。それだけでも大きな感謝にあたります。

 でももしかしたらその教えを口にすることで、聖人ご自身は心に大きな罪を負われたのかもしれません。もしかしたら息子までも失われたのかもしれない。それでも苦しむ人々のために頑張られ、みんなが幸せになるための礎となることを覚悟して、その想いを後世の人たちに託された。私にはそう思えました。本当に“ありがたい”ことだと思います。

 

 

平成19年に親鸞聖人についてまとめた随想と資料を別の章に入れましたが、非常に長いものです。

そして以下に教行信証の最後にある私が感動したところを書きます。

 

PS:教行信証の最後に書かれた私にとって感動の言葉。

“もしこの書を見聞せんものは、信順を因とし、疑謗を縁として、信楽を願力にあらはし、妙果を安養にあらはさん。安楽集にいはく、真言をとりあつめて往益を助修せん。いかんとなれば、さきに生ぜんものは、のちをみちびき、のちに生ぜんものは、さきをとぶらひ、連続無窮にして、ねがはくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海をつくさんがためのゆえなり。”


間違い訳かもしれませんが、“この書を見た人は、信じるところは信じ、疑うところは疑って、妙果を得てください”。“真実の言葉を集めて来るべき幸せの助けとしよう”。なぜならという次の文章に時間の因子があるので“往益”を将来の益としました。お釈迦様は弟子に“私の言葉をそのままに信じるな。自分で考えなさい”とおっしゃったそうです。この書き方からは聖人は私の言っていることはまだ確定ではないのだよとおっしゃっているように思われます。“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”がもしも確定したことであるならば、それは妙果といえます。因は“たね”と読むそうです。たねはこれから花開くもとです。そして確定したものならば、それは往益ではなく今も益であり、助けではなく全てだといえますから“往益を助修せん”では話があいません。聖人はこの教行信証で“南無阿弥陀仏で救われる”が事実であることへの自分の肉薄の軌跡を次の世代の為に残そうとされたのではないでしょうか。私は学問には新しいものを見つける人と、例えば“群書類従”なども同じ意味があると思いますが、次の世代の人が同じことで時間をつぶさなくてすむように、今までの学問を真剣に客観的にまとめる人が必要だと思っています。後者をするのは抜けがあってはダメなので、本当に信頼できる人物でなければダメだと思っています。“なぜなら先に生れたものは後のものを導き、後に生れたものは先に生れたものに尋ねつつ、連続して休むことなく、妙果をえるようにしてほしい。”私には海には命の母というイメージがありますので、“限りない命の海を生きつくすためである”とでもしておきます。私は臨床経験からも、真実を見出すためには時間の視座が必須であると思っております。間違いなくこの聖人のお言葉には時間の視座があります。同じ時代の人だけでなく、次の時代の人含めて全ての時代の人類全体として一歩ずつ幸せを求めて行って欲しい。私は礎になるから・・。そうおっしゃっているように感じます。我々は親鸞聖人から大切なことを託されたのではないか、その想いが伝わっていないのではないか、この文章を読んで私はそう思いました。

以前医者になってすぐの頃ですが、学会に参加したときに同じシンポジウムを繰り返すばかりで、一つずつ問題を解決していこうとする姿勢のないことを“医者のマスターベーション”と感じて、正直幻滅を感じておりました。“真実をえることは人類の宝”という視点に立てば聖人のおっしゃるようでなければいけないのだと思えます。実は私が外へ出すことなく夢想してきたのは、“真実を求める事”“真実を蓄えていく事(創造、検証、評価、そして再評価:歴史の研究とこれからの歴史の客観化)”のシステム化とでも表現したらよいのか、人類がゆっくりとでも幸せに向かえるための方法論(実はきわめて稚拙なものですが)であった気がします。

当然私の訳には間違いの指摘もあるだろうし、できるだろうと思います。でも“確定ではない”とはっきりと書くことのできるはずのない聖人のお立場で、引用を交えることでこういう訳をする人が出うる書き方をされたことに意味があるようにも思います。

この最後の文章からは“誠実に真実を求めていこう”とするお姿と、“時代を超えて人類全体の幸せが増していくことを祈っている”お姿を800年前の聖人に認めます。これに気づいてすぐは、偏狭な私は“聖人は本当の科学者”と思いました。でもそれは違うと思うようになりました。 “人類が全体として幸せになっていくこと”を基本において、“皆でいっしょに少しずつ考えていきましょう”というメッセージと解すれば、科学でも、宗教でも、教育でも、何でもかんでも、とにかく当てはまる普遍的なことだと思われます。

 

 初めに気づいた可能性は決して建設的なことではありませんでした。でも人々を救うために自分を最大の悪人かもしれない苦悩の世界に置き、そしてもしかしたらそのために家族を失ったかもしれない聖人を想うと、確信に満ちた聖人様よりもはるかに“ありがたい”ことと思われるのです。聖人のおかげで同じ時代の人だけでなく、その後のどれほど多くの人々が救われたことか。でもだからこそ、我々は“南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなし”に安住することなく、一歩ずつでも問題を解決していく努力をしていくべきなのだと思います。

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