循環器内科開業医の病気、世の中、生きる悩みについての独り言です


世界の平和に向けて日本ができることは?
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      世界の平和に向けて日本ができることは?

 私は政治家のすることは人々にこんな世の中であってほしいという目標を指し示し、そこへ至る方法を提示すること”だと思いますし、近くにあると向き合う形の対立を生みかねないので、その最終の目標は遠くにある星のように皆が同じ方向を向いて一歩ずつであっても共に歩んでいけるものであるべきなのだろうと思います。

 誰でも自分が幸せでありたいと思うのは当たり前です。ただその時にできるだけ多くの人たちも同じく幸せであったらいいなと思える人が多ければよいなと思います。そう思うだけならタダです。少なくとも自分が今幸せであるのに、より多くを得るために他人が不幸になっても仕方がないと考える人は少なければいいなと思います。それであれば一緒に歩んでいける。きっとそれが私自身が願う世の中なのだと思います。でも人間の持つ欲にはいろいろなレベルがあるだろうことを考えれば、それはかなり難しそうです。  

 苦しいときの手助けはありがたいものです。でもその手助けをしたら、これは傲慢かもしれませんがきっと心地よさがあります。“情けはひとのためならず”です。ペイ・フォワードという映画にありましたが、そういう優しさのピンポンのような遣り取りや、受け渡しはきっと世の中を少ずつでも良くしていくかもしれないとは期待させてくれます。


 さて“世界が平和になる”という言葉なら望まない人はきっといないと思います。では世界が平和とはどういうことなのでしょうか。“戦争のおこりそうにない世の中であってほしい”ということには、おそらくほとんどの人が賛成してくれるかと思います。

でも現実には今でも争いはあり、主な原因としては国と国のレベルで南北問題、宗教問題、民族問題といったところでしょうか。

 南北問題は貧富の差ということで経済の問題が主で、放置すれば今後大きくなることが予想されます。北の富んでいる側が貧富の差をなくそうという気持ちになれるかという問題がまずあり、環境問題などにおけるローマクラブのように今の地球の生産力含んだ能力からは人類が全体としてどれほどのものを享受できそうかという地球全体のスケールで考える体制と学問を用意することが必要そうです。

 宗教問題では考え(教義)の根本的な相違が未来永劫無くなるはずはありません。だからといって他の宗教を根絶やしにするなどという乱暴はきっと人類自体が消滅するような結果をもたらしかねませんから諦めてくれると思っています。ですからたとえ相違があっても問題ではないようにするしかなく、教義のように思わない人がこの世の中にはいる”ということを受け入れてもらうことしかないと思います。現実には各宗教の尊敬されているトップの人たちが一緒になって“自分たちの教義のように思わない人がこの世の中にはいる”ということが事実であり、それを我々は受け入れると世界の人々に宣言するのが私に思い浮かぶ唯一の方法です。

 きっと民族問題は“恨みの歴史”の問題だといえます。人として赤ちゃんが恨みを記憶して生まれてくるはずはありませんから時間が解決してくれる可能性もありますが、増幅し爆発する可能性もあります。例えば第二次世界大戦で日本は中国に侵略をしたといえます。でも中国が元の時代には対馬の人たちは虐殺されました。ただそれらを現実に我々は覚えていないのです。親たちの経験など新しい記憶ほど日常生活に影響を及ぼすのは当たり前だといえます。だから“日本が元の時代は・・・”という言葉を使っては相手が不快になって当然なので絶対に言ってはいけないのです。“悪いことをしたら、きちんと謝る”ことは私は人間として当たり前のことだと思います。その上で今後を良くする努力をお互いがすることが重要だと言えます。

今書いてきたことは戦争のおこりそうにない世の中であってほしい”と思っても、現実世界の中では争いも仕方がないと思う人たちがいるということで、ではそれに対してどうすれば良いでしょうか。

 “あなたたちの子供や孫が戦争で苦しむことがない世の中であってほしいですか?”という質問にはほとんどの人がイエスと言うと思います。例えば“親の恨み”と“子孫の幸せ”をハカリにかけたと思ってみてください。それであれば我慢できるかもしれません。将来のためにも“親の恨み”を子供の前では口にしないようにしましょうという提案も受け入れてもらえるかもしれません。

 子供たちのためであれば、より良い世界であれるように我慢や努力をできるのではないかと思えます。

 

 さてその中で日本は世界の平和にために何ができるのでしょうか?

 “西洋と東洋・・・日本の立ち位置は?”の中で私は日本人は上に書いた3つの問題において間に入っていけるという意味で、もしも世界が平和になるように誠実に努力する国”であろうとした時に日本は元々にそれなりに良い条件を持っていたと書きました。


 そして“防衛は?”の中で、もしもアメリカの“核の傘”がなくても大丈夫にしようと思うなら、普段の時から、日本は信頼できる国である、さらにできるなら残っていてほしい国であるという、多くの国からの信頼を得る努力をしておくのです。その信頼はきっと相手国に攻撃をためらわせるにちがいありません”と書きました。

 世界の平和のために誠実に努力することは日本の防衛に役立つと私は思います
 そんなバカなと思われるかもしれません。そう思うのが当たり前かもしれません。でも憲法前文には“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した”とあります。誰かが最初に“平和を愛する諸国民の公正と信義”を信頼するしかないのです。それは日本だと思いませんか?もしもそれがうまくいけば続く国も出てくるかもしれません。

 では現実に日本にできることにはどんなことがあるでしょうか?

日本が世界の平和のために誠実に努力することを信頼してもらうために思いつくことは、“生きるための安全保障”への協力になりますでしょうか。

1)災害対策に対して全力で取り組む

困ったときの援助とは本当にありがたいものです。でも貧乏人の私は、自分の役にも立つもので、もったいなくないようにできれば、その方がいいなあって思います。その方が持続可能でもありますから。

災害対策の大きなセンターを作る

日本は地震予知などでは進んでいるそうですが、それらを発表、討論、検証、再検証などで人類の知恵として集約化していく(勿論その経過についても全て記録に残しておいてよりよいものへとする:情報管理方法は良いOSを作る土台にもなりますので全力で早急に開発が望ましいものです)。これらは災害予知だけでなく、予防、起こった時の対応策などに広げ世界の人々が利用可能なオープンなものとします。勿論これらは日本人の、そして将来の人々の役にも立つはずです。

②災害対策の実践として

災害対策では医療と同じく緊急対策と準緊急対策、慢性期の対策があります。

(1)緊急対策として

航空機やヘリコプターなどを含むスピードを重視した緊急時の即応チームを数個用意します。化学物質や放射能汚染などへの対応可能な専門のグループも用意します。流用しやすさ、専門性を考えれば自衛隊を含んだものになるのかもしれませんが、この中での民間との交流の機会を持つことも有用だと思います。そしてそういう能力を持たない国からの救援要請があったときに本人の意思として参加の可能な人員配置と、それに対応するための法律などの整備をしておきます。

(2)準緊急対策として

ヘリコプター、水(海水から水を作るプラント搭載?)、食料、テント、野戦病院機能のある大人員を収容する能力があり、かつ搬入搬出が極めて便利な“ノアの箱舟”を数隻建造し、定期的に世界を巡航させます。これは日本自体の危機にも役立つでしょうし、緊急時必要物品の倉庫にもなりますし、搭載備品は新しいものに交換するためにも定期的に困っている事態の時でなくても、困っている国に積極的に渡していけばよいのです。

(3)側面援助として

慢性期にはむしろ自立へ向かえるような、親身になった相談にのれるスペシャリストの派遣ぐらいでしょうか。でもそのためには過去における災害後の対応への評価などの記録をきちんと災害対策センターへ蓄積して、普段によりよい指針を生んでいくことが大切です。

 この中で緊急時に最も効率的な展開をするための方法の立案や、その時に必要なロボットなども含む備品をよりコンパクトに、より能力高いものとするなどの災害関連での開発に全力を尽くして特許を取っておきます。こういう力は日本の中小企業などでは高そうに思います。良いものであれば海外からも引き合いがあるでしょうし、需要が高くはないのでライバルは多くないでしょうし、日本政府が必ず買い換えていくことになります。


2)(さらに積極的に)希望の日本人を紛争のある両側に長く住まわせる?

 昔忍者を“草”と呼んだそうです。草莽という言葉もあります。でも彼らに求めるのは“ウソは絶対につかない”ことと“その地域を愛するか、そこまでいかなくとも少なくとも大切に思える”ことの2点だけです。大切に思えなくなれば帰国です。日本のためではなくて、その地域の人たちの気持ちを理解でき、彼らの幸せを心から願える人材をその場所で育てます。例えばもしも何か問題が起これば両方の地域の日本人を呼び寄せて討論(言い合い?)をさせる。それを見ることはきっと現実世界に傷を残さず、問題の本質を本当に理解し、最も適切な対応策を冷静に提案できるひとつの方法となれる気がします。“日本人の立ち位置は?”に書きましたが、日本人は人種としては黄色人種で間に入ることができる特徴を持っていると思います。

 それはきっと人のレベルにおいて、ゆっくりとでも信頼の“草の根のネットワーク”を作ってくれるでしょうし、それらの人の総体としての日本という国への信頼を生んでくれると思います。


3)もう一つ非常に大切なことは教育です。

平和の大切さ、そのために努力することの大切さを、押し付けではなく自ら理解できるような子供たちを育てることは、人類が一歩ずつ幸せに向かう将来に期待するためには、時間を考慮に入れれば全ての面で一番大切なことだと言えます。

 

 “このキノコを食べれば死ぬ”人類は目の前の今ある現実空間から多くを学び伝えてきました。“暴君は長生きできない”過去の歴史からも多くを学び伝えてきました。20世紀はそれらの知識を蓄えてきた文明の進化の中で、まるでいつまでもあるかのように後先考えず急速かつ大量に自分たちのために例えば石油などの資源を使ってきました。そして20世紀の終わりごろになってやっと例えば“地球の温暖化は人類の滅亡につながりうる”ことに気づきました。初めて人類は未来を含んだ時間と空間の視座を持てたといえるのです。今我々がすることが将来の人類にとってどういう影響を及ぼすかについて初めて考え始めたのです。

私は21世紀の人類のキーワードは大きな革新がなければ“sustainable(持続可能性)だと思っています。

 その時間空間の視座は将来人類の多くが幸せになるためにはどうすればよいかを考えうる可能性をもたらしてくれたとも言えるのです。

 

 一度人類の長い長い先のことを頭に思い浮かべてみてください。でもあなたが幸せを願う子供、孫が同じようにその孫の幸せを願えば、それでもう100年です。
 その時にも今と同じようにたくさんの国があるのかもしれません。もしかしたら人類は滅びているかもしれません。でももしかしたら地球連邦のように一つにまとまっているかもしれません。ではそんな地球連邦ができる道筋にはどんなことがありそうに思えますか?

 外的な要因としてはもしかしたら宇宙人が来て、地球代表を出せというかもしれません。どんな話し合いになるのでしょう?もしかして宇宙人が攻めてきたら、地球はまとまるかもしれませんね。

そんな外的要因がなければこのままかもしれません。でもヨーロッパ共同体(EU)は一つの壮大な実験に思えます。現在EUの中には財政状況の悪い国もありますが、他国が応援をしながら自助も促しています。でも応援を受けながらも、厳しい要求をされた国はEU脱退をほのめかしたりします。お互いに不満がきっとあることでしょう。世界から見てあれだけ格差が少ないと思われるヨーロッパの中でさえたくさんの国をまとめるのは大変であり、その途中には意見の相違がきっとあること。それでも苦労しつつも頑張れていることが現時点での実験結果のように私には思えます。未来には同じようにアジア国、アフリカ国などより大きな共同体ができているかもしれません。でも大きくなればなるほど、もしも喧嘩が起こったらより大変そうですね。一つの道しかないというのは危険でもあります。

 私はそんな地域を越えた交流の中で生まれた人のレベル、国のレベル、その他のレベルにおける草の根ネットワークが、たとえ弱くてもその大喧嘩を一歩踏みとどまらせてくれるのではないだろうかと期待しています。だから日本がバカみたいに世界の平和のためと言って遠方の国の緊急事態の支援などをしていることにも意味があるのではないかなと思います。そしてゆっくりとでも国連自体が力を持っていくように協力していれば、もう一つの道を用意しておくことになるのかもしれません。

 私には決して無意味なことだとは思えません。

 

 憲法の前文には“日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な思想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する”という平和憲法にふさわしい言葉があり、その最後“日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う”とあります

やりませんか?夢を追い、前を向いて歩き続けた坂本竜馬のように。

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