循環器内科開業医の病気、世の中、生きる悩みについての独り言です


生きるための安全保障
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 “生きるための安全保障”とは?・・・その確保は政治における基本と思います

 私は内科医ですが、まず最初に救急にあたることを勉強したつもりです。
 それは患者さんの一番求めることは“死なない”ことであり、それに次ぐのが“より快適に過ごしたい”ということだからです。そして“死なない”ために必要であれば手術などの痛いことでさえ患者さんは受け入れます。

 私の言う“生きるための安全保障”とは、その“死なない”ために最低必要なものにあたり、もしもそれを確保できなければ、他人からそれを力づくでも奪おうとする“獣”になることさえ十分にありえます。医療においてできるだけ“死なない”ようにすることがまずはその基本であるのと同じように、 生きるための安全保障”を確保してひとを“獣”にしないことが政治においても基本であると私は考えます。

 ではその“生きるための安全保障”には何があるのでしょう?

 “生”とはまずは個体を保つことです。

生物としてのヒトがあります。水と食料の確保が安全保障にあたります。

生物としてのヒトへの外敵があります。病気への対応が安全保障にあたります。

    化学物質、放射能などの環境からの危険予防も必要です。

    現在の日本では少ないですが、大きな生物からの危険予防も必要です。

現代の人は社会の中で生きています。逆に社会があるから他者から“生”を脅かされることがありえます。犯罪への予防含む対応が安全保障にあたります。

    少しレベルは落ちますが情報の確保も必要です。

大きな社会として国があります。他の国から“生”を脅かされることがありえます。戦争への予防含む対応が安全保障にあたります。

少しレベルは落ちますが、通貨としての“円”のレベル確保も必要です。

人は環境の中で生きています。自然環境から“生”を脅かされることがありえます。それが地震、雷、津波などといった災害で、それらへの対応が安全保障にあたります。

 

 これらの中で頻度を考えに加えると、

 水、食料が第一レベル、

 病気、化学物質、放射能などの環境、犯罪が第二レベルといえるでしょうか。

“衣食足りて礼節を知る”とは残りが満たされれば犯罪も減るということなのでしょう。

 しかしそれ以外の普段国民には見えないレベルではあるが起これば大変であるものへも常に見守りをすることは国にしかできないことで非常に大切です。


 さてたとえそこに水と食料があろうと、それが国民一人ひとりに届かなければ全く意味がありません。その意味で雇用と福祉は実際問題として第一、二のレベルに相当するといえます。

 情報というのは“助けて”という声が届くということです。“助けて”の声がないとき、実際そういう状況がないのか、それを伝えられないかを区別するのは難しいことです。田舎に一人暮らしをする高齢の親に何か起こっていないかを知るのが大変なのと同じです。

 そんなシステムがあるかを知りませんが、中央に毎朝各市町村から“昨日と大きく変わりがない”ことを示すグリーンの表示がされれば、安定した時期であればオールグリーンは“生きるための安全保障”がそれなりに達成されている印になりそうです。

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